谷村丹後。茶筅への想い
Witness the 500 Year old Secret Art of Tea Whisk Making
相反性の芸術
室町時代に端を発し、500年を超える悠久ともいうべき歴史を持つ、奈良・高山の茶筅。
谷村家は、その伝統の技を一子相伝により現在まで伝え続けてきた茶筅師の家である。
二十代目谷村丹後を襲名した時に、彼が感じたのは、歴史の重みと先人たちへの感謝の念であった。
谷村家の茶筅のこだわりは、「使いやすく丈夫な茶筅」これに尽きる。
使いやすさとは即ち、穂先がしなやかで弾力性があること。また丈夫さとは文字通り長持ちすること。
だが、これら二つの要素は相反するものである。
穂先をしなやかにするためにはできるだけ薄く削らねばならないが、薄くなればなるほど耐久性は弱まるからだ。
この二つを高い次元でバランスをとっていくことこそが、谷村が日々最も苦心している点であり、谷村家が500年にわたり培ってきた究極の技と言える。
茶筅作りは小刀と指先だけでそのほとんどを行うことから、「指頭芸術」と呼ばれているが、
指先の微細な感覚だけを頼りにギリギリのところでバランスをとっていく谷村の技は、まさに芸術と呼ぶにふさわしいものと言えよう。
谷村丹後の生み出す茶筅は、もはや製品ではなく、「作品」だ。
しかしなぜ、谷村はそこまでこだわるのか?
使い手への想い
谷村家は代々、茶道の様々な流派の家元に直接納めてきた。
その関係で、実際の茶筅の使い手との交流があり、
その生の声を製品づくりに生かしてきた歴史がある。
時にお褒めの言葉を、
時にお叱りをいただくことが、
糧にもなり目標にもなると言う。
それは、谷村家が長い年月をかけて
築いてきた最大の財産なのかもしれない。
ネット通販が普及した今日、
その気になれば海外製の安い茶筅を手に入れることは容易だ。
しかしそれらの作り手のほとんどが、
その茶筅がどのように使われているか知らない上、
興味もなく、使い手と対話をすることもできない。
ただ単に竹を削って形を模しただけのものが、
本物の茶筅と言えるだろうか?
谷村は、竹と向き合う度、使い手に想いを馳せる。
あの時のお客様の嬉しそうな笑顔、
あの時受けた家元からの厳しいお叱りの言葉。
それらの想いの行きつくところはいつも同じ・・・
いかに使ってもらいやすいものを作るか。
使い手のことを胸に留めつつ、喜んでもらいたい、
いいお茶会にしてほしいという気持ち。
日々、より良いものを作りたい。
昨日作ったものよりも良い品質のものを。
まだまだもっといいものができるんじゃないか。
どこまでもどこまでも、使ってもらいやすいものを追い求め、
来る日もまた、谷村は工房に腰を据える。
その強い想いの根底にあるのは・・・
おもてなしの心
茶道の心は「おもてなし」の心である。
即ち、人に喜んでもらうことを喜ぶ心。
茶道は、それを感じることが出来る素晴らしい日本の文化の一つである。
しかしながら、西洋化された現代の生活様式においては、めまぐるしい日常生活の中でゆったりと茶の湯を楽しむ心のゆとりも時間の余裕もなくなりつつある。
老若男女を問わず、茶道を気楽に日々の暮らしに取り入れる。
緑茶や珈琲、紅茶と同じように、抹茶でも気軽に友達をもてなしたり、一人でリラックスする時間を持ったりする。
そのための茶筅でありたい。そんな想いから谷村は、色糸を使った茶筅や天然の紋様入りの希少な竹を使った茶筅など、
遊び心に溢れ芸術性を高めた新しい感覚のモノづくりにも取り組んでいる。
茶筅とは、道具に過ぎない。しかも、消耗品であるが故にお茶席では唯一、作者の名前が出ない道具だ。
しかし、茶の湯はお茶と茶碗と茶筅があればこと足りる、という言葉もある。殊に茶筅はその良し悪しがお茶の味を左右する重要な道具でもある。
だからこそ、茶筅から変えていけることがあるはずだ。
それは、茶筅師・谷村丹後なりの「おもてなし」の心なのかもしれない。
世界に二つとないこの茶筅で、一人でも多くの人に自ら茶を点てて客に供するという喜びを知ってもらいたい。
谷村の作る茶筅には、そんな想いが宿っている。
心がこもっていること。
それが、谷村丹後の作る茶筅の真髄である。
(文) 古賀 直樹